エッセイ「ぬか漬け始めました」秋田魁新報 全文


 ぬか漬けを始めた。

 もう2カ月ほど経つだろうか、今日はズッキーニがぬかのふかふか布団の中で食べ頃になっているはずで、そわそわしながらお昼ごはんの時間を待っている。

 ぬか床は、猛暑が続いていたある日、自然食品店で見かけて衝動買してしまったものだ。

 なぜ衝動が起きたかというと、隣で小茄子が売られていたのである。今朝もぎました、と言わんばかりのつやつや、ピチピチの小茄子は丸ごと揚げようか。それとも焼いてからハーブやオリーブオイルでマリネにする?

 その時、隣のぬか床が鼻で笑ったのだ。「小茄子なんだからさ、そりゃあぬか漬けでしょ?」と。暑過ぎたんだね、と心配されそうだが、私は声に従った。


 じつは、2度目のぬか漬けチャレンジである。

 最初は10年以上も前、ぬか漬け職人を取材して、すっかり感化された。「日本伝統の発酵食品、ぬか漬けは乳酸菌の宝庫だ」と息巻いて無農薬栽培米のぬかを探し、海塩と真昆布、お高いクラフトビールなども入れたりして、ラグジュアリーなぬか床を作った。


 しかし当時の私は朝食にパンを食べ、昼は取材先で撮影した料理をいただく。夜は取材対象のお店をリサーチするため、週5日の外食は当たり前だった。

 つまり、ぬか漬けが入る余地などない。

 仕方なく朝にヨーグルトとぬか漬けを両方食べても無理があり、「明日食べよう」と先延ばしにしたきゅうりがしぼんでいく様子は見るにしのびなく、あげくに痛いほど酸っぱくなる。


 愛情薄い私はついに、長期出張でぬか床を放置してしまった。本当なら塩を足すなどの処置をしておかなければいけなかったのに、コロッと忘れたのだ。

 思い出したのは家に帰った後。容器の蓋を恐る恐る開けると、想像以上にワイルドなカビが育っていて、「ごめんなさい」とぬか床に手を合わせた。後から、カビを取って再生させる方法はあると知ったが、当時の私は気持ちが萎えてしまった。


 以来もう二度と、手に負えないものには手を出さない、と決めた。

 それがなぜ転じたかというと、コロナ禍の今ならできるかもしれないと思ったのだ。取材が減り、外食も会食も激減した今こそがぬか漬けチャンス。

 始めてみれば、締め切り前の切迫感ある日々でも、お昼にぬか漬けさえあればポリポリかじりながら原稿が書けてちょうどいい。

 昨日はアスパラガスとセロリ、その前はアボカドとアーモンド。気づけば、もっと何か漬けられるんじゃないか? と台所を見回している。


 ところでぬか漬けというと、思い出すことがある。

 数年前、老舗の鰻屋を取材した時のことだ。鰻もさることながら、ごはんとぬか漬けがそれは見事だった。何代続いたぬか床だろう、意志を持ってぴたりと決まった味がした。

 何年経ったら、どんな食材を床に加えたらこんなにおいしくなるんだろう?

 訊ねると、女将さんは首を振った。

「お客さんのいらっしゃる時間から逆算して漬けるだけです」

 それが鉄則。来店時間と漬ける食材によっては、深夜に一度起きて漬けることもあるという。

「おもてなし」とは、こんなことなのだろうと思った。