2021.11.29 01:2128年目の冷蔵冷凍庫 1、2年ほど前から冷蔵冷凍庫の運転音が大きくなってきたと気づいてはいたが、このところとくにひどい。 ジージーからガーガーへ転調し、こちらが必死に聞こえないふりをしていると、そうはさせまいとでも言うようにギギギギギにキーを上げて訴えかけてくる。 狭いわが家では台所脇の1畳くらいのスペースが私の仕事場なので、この原稿もそれに耐えながら書いている。 どうにも気になる。 いや、それ以上に、リモート会議や電話取材などでは私の背後で常に妙な音が響いているのだから、恥ずかしいやら申し訳ないやら。 じつはこの冷蔵冷凍庫、以前このコラムに書いた電気オーブンよりさらに長く、28年も使い続けているのだ。 20代半ば、広告の文章を書く仕事を始めてようやく自分で買った、365...
2021.09.28 04:00エッセイ「ぬか漬け始めました」秋田魁新報 全文 ぬか漬けを始めた。 もう2カ月ほど経つだろうか、今日はズッキーニがぬかのふかふか布団の中で食べ頃になっているはずで、そわそわしながらお昼ごはんの時間を待っている。 ぬか床は、猛暑が続いていたある日、自然食品店で見かけて衝動買してしまったものだ。 なぜ衝動が起きたかというと、隣で小茄子が売られていたのである。今朝もぎました、と言わんばかりのつやつや、ピチピチの小茄子は丸ごと揚げようか。それとも焼いてからハーブやオリーブオイルでマリネにする? その時、隣のぬか床が鼻で笑ったのだ。「小茄子なんだからさ、そりゃあぬか漬けでしょ?」と。暑過ぎたんだね、と心配されそうだが、私は声に従った。 じつは、2度目のぬか漬けチャレンジである。 最初は10年以上も前、ぬか漬...
2021.06.18 03:01「違う」ということ 秋田魁新報 全文 数年前、雑誌のコーヒー特集でイタリア人を取材した時のこと。彼は熱く熱くこう語った。「もしもイタリアからエスプレッソがなくなったら、きっと空港は閉鎖されるし、街じゅうで暴動が起きるよ」 当時はみんなでゲラゲラ笑っていたけれど、今、その言葉を思い出してゾッとしている。 もしも秋田じゅうの飲食店からお酒が消えたらどうなるか。岩牡蠣だってボタンエビだって日本酒なしには飲み込めないじゃないか! と、ちょっと暴れたくなるのは私だけだろうか。 東京では、そのお達しが本当に現実のものになった。 お店でお酒を提供してはいけない。世間では「禁酒法」とも呼ばれるが、今は1930年でなく2021年。まさか自分が生きている時代にこんな状況になろうとは。 というわけで、せっかく...
2021.04.30 11:51比べない 2021.4.24 飲食関係の文章を書いていると、「おいしいお店を教えて」と聞かれることがとても多い。「おいしい」だけでは手がかりがざっくりし過ぎなので、食べたい料理と場所と人数、お誕生日祝いなどの目的を聞いて、知っている限りで教えてさしあげる。 すると、なんと、おもむろにスマートフォンを出してグルメサイトを検索し始め、点数を確認する人がたまにいる。「ふうん、3・5点ねぇ」 何やら不満げである内心も透け透けに見えたりする。今、自分が訊ねた人の答えより不特定多数の評価を信じるのか、という敗北感はさておき、浮かび上がってくるのはこんな疑問だ。「その点数に、どんな幸せがあるのだろう? みんながいいと言うお店に、あなたの望むものはないかもしれないのに」 他人と比べたところに、幸...
2021.03.15 10:26単機能好き 2021.3.6 この世へ、たった一つの使命を持って生まれたものに愛を感じる。単機能といわれる道具だ。 それも「栓を抜くための栓抜き」といった正統派より、「なぜこんなことのために!」と、ほんのり呆れてしまうくらいの用途であるほどくすぐられる。 それを自覚したのは、友人が「有名デザイナーのだから」の前置きとともにくれた、北欧みやげのフォイルカッターだった。ワインのコルク栓をカバーしているキャップシールを「切る」ためだけの道具である。 そんなものがなくたって、文房具のカッターでも果物ナイフでも切れる、と言われたらおしまいの薄い存在意義。そもそもうちにはソムリエナイフがあるので、フォイルを切りコルクを抜く作業なら、一本でよほどスマートにできる。 なのにこの有名デザイナーなに...
2021.01.22 05:21東京のお正月 たぶん二十年以上ぶりに、〝秋田へ帰らなかった年越し〟となった。 夫の実家は東京だが、「うちは電車でいつでも来られるんだから、ご両親に顔を見せてあげて」という義母の優しさに甘えること毎年末。ひょっとして結婚後初めて東京の大晦日かも、と気がついて、我ながらびっくりしてしまった。 だが、もっと驚いたのは夫の落胆ぶりだ。彼はなぜ、一年の仕事を終えた後にも妻の実家仕事が待っている秋田を、そんなにも楽しみにしてくれたのか。 そこにダダミがあるからである。腹から割きたてのぷりぷりを、生で、湯引きで、天ぷらで、焼きで、鍋で食べられるダダミ天国。 右手で頬張り、左手で新酒をついーっと流し込む幸福絵図が、長年にわたり彼の脳裏に刷り込まれていた。 東京ではなんでも手に入る...
2020.11.26 11:27本当のおにぎり 2020.11.21 子どもの頃、私のおにぎりはお習字の半紙にくるまれていた。 遠足などでパティ&ジミーの包みを開くと、お弁当箱の上にぽこっと二つ、丸いものを四角く包んだ無骨なそれがのっている。 ある日クラスメイトが覗き込んで、「何それ?」 と訊ねてきた。おにぎりだと答えるとびっくりして、中身の見える透明なフィルムにくるまれた三角形のおにぎりを見せて言う。「これが、おにぎりだよ」 ガーン、である。 おにぎりとはラップやアルミホイルでくるまれるべきもの。それが文明。うちは遅れている、というかお母さんはきっと間違えている。大変、早く教えてあげなくちゃ。 使命感に燃えた小学生女子は、台所で洗い物をする母に空の弁当箱を差し出すとき、...
2020.09.28 03:54そう決める 2020.9.26 東京で、三つ星レストランのシェフを取材した時のこと。睡眠時間が決まっているというので、何とはなしに聞いてみた。「今はきっちり6時間。以前は4時間15分だったんですが」 へえー! と固まってしまった私を見て、シェフは続けた。「やはり睡眠時間が少ないのは、体によくないですよね」 いえいえ、そこじゃないです。15分のところです。「きっちり」が想定外に小刻み過ぎて。 しかし彼には私の驚きが、驚きだったらしい。その数字は眠りの深い浅いから目覚めのベストを計算した「必然」だから。 彼の行動は一つひとつ、とことん考え抜いて決められており、そうして決めたことを、変えずに続ける。日常生活の全てにおいてそう。たとえば朝食なら毎日同じメニュー。ヨーグルトの銘柄と分量、目玉...
2020.08.03 02:47デパートの大食堂 2020.8.1「え、オムライスが二千円もするの! 洋食ってこんなに高かったっけ?」ある編集者と洋食屋へ行ったとき、彼女は明らかにうろたえた。彼女が知っているのは、卓上のケチャップを自分でかける八百円のオムライス。それも正しい。でも、二千円のほうだって誠に由緒正しいのだ。洋食は、西洋料理を起源としている。明治時代は皇族、華族、政治家、軍人らが外交として嗜(たしな)み、場所も外国航路の船や宮内省御用達の店などに限られた。そこで修業した料理人が街場へ散らばることになるのだが、今度のお客は一般の日本人。なんでも「ごはん」に合う合わないが基準、という人々のために西洋料理はチューニングされ、日本独自の洋食が生まれた。同時に、庶民へと広がる過程で枝分かれもした。冒頭の洋食屋は西洋...