今月号から、dancyuは創刊三十周年yearだそうです。
1990年。グルメブームの頂上にあって、バブル崩壊の直前という、ある意味ドラマティックな時代でした。
三十周年の特別企画で、「東京で十年。」は「東京で三十年。」となり、3ページに増量して、なんと3号連続で三十周年のお店が登場します。
第1弾は「分とく山」。
扉の写真は、野﨑洋光さんのありがたい福顔。拝めばきっとご利益があると思います。
バブルという天井知らずな時代を創っていた人々が棲息していた西麻布、彼らに愛された「分とく山」は、じつは創刊号に登場されていました。
取材時、創刊号をパラパラとめくっていた野﨑さんは懐かしそうに、しかしすこし残念そうに、「この店も、この店もなくなってしまったなぁ。いいお店だったなぁ」と呟いていました。
同じ時代、しのぎを削った同志のような店や、尊敬していた雲の上の店。雑誌というものは、移り変わりの激しい東京で三十年という月日をストレートに映します。
「分とく山」は、それ以降も何度となくdancyuに登場。バブルが崩壊しても、鉄人ブームがきても、イタリアン旋風やバル嵐が吹き荒れても、右往左往することなしに三十年後の今も愛され続けています。
その理由はどこにあるのか?
野﨑さんと「分とく山」の三十年を辿ることで、そのスピリットを感じていただけたら幸いです。
ちなみにバブルの時代はヒールとして語られることが多いけど、あの時代だけが持つスケール感、豪快なまでの上昇気流は、いつか書いて見たかったお話。取材をするのも書くのも楽しくて、これから3回、私がいちばんわくわくしています。
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