vol.6 6月、タイトルが、まだ決まらない。

居残りシュート練習のように、角度を変え、速度を変え、打ち方を変え、ひたすらタイトルを打ち込んでは枠に決まらない。誰より、自分自身がピンと来ない。

悶々としてしまったのは、密かに「タイトルですべてわかる必要が、本当にあるのかな?」 と葛藤していたからだと思います。
説明しようとするよりも、言葉の周りにある空気感で何となく「その世界のこと」とわかるくらいでいいのじゃないか。むしろ、その世界の人以外にも、自分ごととして感じて欲しい。 とすると、少し普遍性のある言葉がいい。
かといって抽象的過ぎて、届けるべき人に届かないのは嫌だな。

そんなことを毎日ぶつぶつ言っていたら、私の家族が「ちょっと違うかもしれないけど」と教えてくれた話があります。

ある自転車店主のブログが、毎回、「そこにリスペクトがある」という決め台詞で締めくくられるのだと。
職人の、自転車の部品における精密な仕事、妥協を許さない精神性、そういうものへの敬意に溢れた言葉。毎回、この台詞のところでジーンとくるのだそうです。
なぜジーン、なの? 深堀りして訊ねると、家族はこう答えました。

「尊敬できるものがある、尊敬できる人がいる。そういうことが、単純にうれしいじゃない?」

今は、他人に対しての敬意が失われた社会です。
目上の人にも、コンビニのレジの人にも、料理を作る人にも、食べてくれる人にも。

スマホが悪いわけではないけど、それを見ている人々はたいてい自分の手元足元ばかりに集中していて、周りが見えていない。
そんなふうに他人が何をしているのかわからない、想像できないから敬意の持ちようがないのかもしれません。
現実の社会が、尊敬できない政治や、大人たちだらけだからかもしれません。

それでも、そんな今の日本で生きる私たちの無意識の中には「本当は尊敬したい」というモヤモヤが潜んでいる、という気がします。
そんな世の中で「尊敬」を見つけ、「そこにリスペクトがある」と叫んでくれる人がいる。ほらこんなに素晴しいでしょ、と気づかせ、尊敬させてくれる。スカッと、私たちの目を開かせてくれる。

本書が、それになれればいいなと思うのです。