メトロミニッツの連載「僕らが尊敬する 昭和のこころ」では、これまで取材を受けていなかったお店もいくつか受けてくれました。それらはもちろん、本書『変わらない店 僕らが尊敬する昭和(東京編)』にも収録されます。
ただ、取材拒否のお店が初登場、みたいなことにはまったく興味がありません。
取材を受けてこなかったお店には、拒否ではなく「受けられない」理由もあるんです。
雑誌に載って知らないお客が増えてしまうと、老夫婦でゆっくり営んでいるお店は対応し切れないとか。小さいお店だから、常連客が入れなくなったら申し訳ないとか。
お店という小宇宙にはそれぞれの法則があり、取材者は、言ってみれば侵入者です。
だから取材を申し込む前、侵入者はもう一度、自分の中で指差し確認をします。
「伝えたい」は、自分のエゴじゃないか?
「意義」をはきちがえてはいないか?
読者とお店にとって、しあわせか?
やっぱりお話を訊きたいと確認できたら、お店に足を運ぶのはもちろん、書き手を信頼してもらえるよう何度か通って言葉を交わしたり、つたない字ですが手紙も書きます。
関係を築く努力をして、それでも「うちは受けられません」と言われれば、お店のしあわせはきっと、そっとしておくこと。私はわりとあっさり引き下がります。
もしも信頼してくれて、書いてもいいよと言われたら、そこにあるのは訊きたい人に訊けるうれしさ。正しく伝える責任です。
昭和の人たちは「あたりまえのことをしているだけ」と言って、その価値観を必要としている人がいることに、あまり気づいていません。
つまり、いずれは黙ったまま消えようとしているもの。
それを必要としている人に届けることができたなら、「書く」仕事を選んだ私は単純にうれしい。それだけなんだけど、でも、ものすごくうれしいのです。
写真は「幡ヶ谷 大昌園」。現在移転準備中です。
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