イタリアに行ってコックになる 2018.7.21

 久しぶりの関西出張。今、勢いのあるイタリア料理店を取材するためだ。

 梅雨明けの真夏日、滝のような汗で顔がどろどろになった私を見て、シェフは言った。

「お会いしたかったんです」

 2003年に上梓した「イタリアに行ってコックになる」(柴田書店)を読んでくれたのだそうだ。

 重版もしなかった本なのに、修業中に愛読したと言う料理人はなぜか多い。関西のシェフは、この本がイタリアへ行く背中を押したと語った。

「僕は結婚もして、子どももできて、もうイタリアなんて諦めていた。でもこの本を読んだら、やっぱり行きたいって。一年だけ。そう約束して妻とそのご両親を説得して行ったんです」


 この本は、私が初めて書いた書籍だ。

 ちょっと自分の話をすると、子どもの頃から海外にぼんやりと興味があって、高校生のときには留学にこっそり憧れていた。でも外国なんか遠過ぎて、絶対親に許してもらえない。そう思い込んで、「行きたい」と口にすることすらできなかった。

 ところが社会人になったある日、弟がポンと海外へ留学した。

「行きたいって、言ってもよかったんだ」。私は一体、何を悩んでいたんだろう? 人生を少し、損した気がした。

 そういう者にとって、「コックになりたい」とためらいもなく、丸ノ内線にでも乗るように国際線に乗る人たちは、まぶしく見えたのだ。


 そこで30歳も過ぎ、だいぶ遅ればせながら私もひとりでイタリアへ飛び、24人の日本人コックたちを取材した。本書はそのルポルタージュである。

 しかしそれまでの私は広告の仕事をしていて、本なんて書いたことが無い。他人の人生を訊いてしまった責任感だけでなんとか書き上げ、運良く出版してもらったけれど、自分の文章が未熟過ぎて穴があったら埋めたいくらい。

 彼らのその後を追った『シェフを「つづける」ということ』(ミシマ社)の執筆を決めるまで10年近く、手に取ることすらしなかった。


 けれどその本を、宝物だと言ってくれる人がいる。関西のシェフの店もまた、そうして行った1年間のイタリア経験が大事に育てられ、実を結んでいた。

 現地のトラットリアで叩き込まれたボッリート(肉版おでんのような伝統料理)の、やわらか過ぎずしっとりとした煮込み加減。

 レシピでは表現できない〝イタリアの感覚〟を、彼はつかんで帰って来たんだな、と感動しながら、未熟なりに誰かの心に届いて役に立てたあの本を、少しくらい褒めてあげたくなった。

 本は、書いた人のものではなくて、読んでくれた人のものなのだ。今までけちょんけちょんに思ってきてごめんね。


 ところで若いコックから、海外には日本で修業してから行くべきか、すぐ行くべきか、と訊かれることがある。正解はもちろん無いが、個人的には、悩めるならば行ったほうがいいと答えている。

 人生、自分のことだけを考えられる幸せな時期は短い。悩むことすら許されない状況になることもあるし、自分の気持ちさえ、放っておくとすり減っていく。行けるなら、与えられた時間はきっと奇跡だと思う。