vol.25 眠れるノートのプロフィール。

普段、雑誌の仕事でも、私はわりとプロフィール(経歴)を訊くのに時間がかかります。ほかの取材者を知らないので比較ではなく、自分自身が気をつけているという意味です。

プロフィールと言っても、「何歳からナントカ星の何というレストランで何年間」というフレーズ自体にあまり意味は無くて。もちろん訊きますが、知りたいのはその先というか、行間というか。

例えば、三つ星で修業したと言っても野菜の皮むきやジビエの下処理ばかりで、料理をさせてもらえなかった人もいます。“いた”という経験だけだとわかったら、プロフィールにナントカ星の名を私は書きません。ただ、その経験があったから次には小さな店を探し、全てのポジションを学んだという話なら、そう書きます。
知りたいのは、どうしてその店を選び、どういう仕事をして、そのときどんなところを見ていたのか。何を得たり失ったりして、次にどうしたか。といった頭と心と体の「動き」です。

世界で活躍したあるサッカー選手曰く、子どもの頃の単純なシュート練習でも違う人は違う。みんな決まった数をこなすことや、枠に入れることだけ目指すけど、大事なのは一回一回「考える」こと。今度は角度を変えてみよう、速度を変えてみようと考えて蹴った球は、枠に入らなくても一球一球が経験になる。その積み重ねだそうです。
(注:逆に「考えるな、体にしみ込ませろ」式のシュート練習があるというのも訊きましたが)


話が若干逸れましたね。
しかし掲載されるプロフィールの文字数はたいてい少ないですから、それを訊いたからといって、プロフィール欄には書けないことのほうが断然多いです。

だとしても、短い時間で人生の一端を書かせてもらう以上、少しでも手がかりを求めたい。それを知って書く本文は、少なからず変わってくると信じての作業です。


取材ノートにはそういう「眠れるプロフィール」が山ほどあって、それを、今回の『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』では成仏させることができました(笑)。

ま、たっぷり訊いたと思っていても、話す度に知らなかったことが温泉みたいに涌き出てくるのが人の道、なんですけどね。