不肖の娘でも 2019.5.11

 先の4月、母についての本を出版した。タイトルは『不肖の娘でも』。離れて暮らし、介護ができない不肖の娘。それでも私はあなたの娘でありたい、という私の祈りの言葉である。

   自費出版で少部数だけ作り、私のホームページや置いてくれる書店でささやかに売っている。


 発売から二週間。続々と感想が寄せられているのだが、そこには決まってこう書いてある。

〝私も不肖の娘(息子)です〟

「故郷に病気の親を残し、罪悪感から、逃げるように連絡が滞っていました」

「長男なのに家業を継がず、母にひとり暮らしをさせて好きな仕事をしている。後ろめたさがいつもあります」

「近くに住んではいるけれど、今の家族のことに精一杯で滅多に会うことはありません」


 普段は東京の人気店でソムリエをしていたり、写真家として第一線で活躍されているような、キラキラした人たちばかりである。

   しかし、それは彼らの表面にすぎなかった。

 心の奥底で自分を責めながら、その気持ちとつき合っていく覚悟を決めて生きている人々が、こんなにもいたのである。自分の道を歩くことが親の介護を諦めることになったとしても、親を思わない人など誰もいない。彼らは、密かに苦しんでいた。


 私は取材先のレストランでおいしいものを食べる度、お母さんにも食べさせてあげたいなぁと思うけれど、先日仕事で食事をご一緒した人も、不意に同じ台詞を呟いた。彼女は新潟出身。お鮨を食べると、魚介好きの両親を思い出すのだそうだ。


 二人ともご健在で、上京する度に彼女は東京見物につき合い、ご馳走する。傍目から見れば十分親孝行なのに、当人はやはり不肖の娘を主張するのである。

 一体、何が足りないの?

 そう訊ねると、「地元の兄夫婦に両親を任せきりで、私は海外へ勉強に行ったり、自由にさせてもらっているから」と答えた。


 もしかしたら、足りることなんか永遠にないんじゃないだろうか、と思った。

    おしめを替えてもらったその時代から、親に育ててもらった恩は大きすぎて、とても返しきれるものではない。返しても返しても、全然足りない。

    たとえ親の介護をしている人であっても、足りなさ感はつきまとうものなのかもしれない。親のほうは、返してもらおうなんて思ってもいないだろうに。それでも返そうともがいてしまう、この習性は何なんだろう?


 足りなさ感を埋めようと、私は母の記憶を書き記した。せっかく「書く」ということを授けてもらったのなら、それを母のために使おうと考えたのだ。

 ひとつ思い出すと、セーターのほつれた毛糸を引っ張るようにつるつるっと、記憶がほどけて蘇る。と言っても思い出すのはイベントごとより、むしろ日常の些細なできごとばかりだ。

    薄暮の道で母と見た、白い鳥のような木蓮の花。一緒に作った白玉のちゅるんとした食感。吹雪の日に温めてくれた手のひらの感触。

    人はたぶん、そういう些細なものからできている。

 記憶の母を辿る作業は、私自身を救ってくれていた。後ろめたさを感じている人は、思い出してみること、おすすめです。