今、別の仕事でおやつの話を書いていて、そう言えば「秋田のおやつ」と呼べるものは案外多いなぁと思い出してみた。
上京して間もなくの頃、「おやき」という名で売られていたものに、青菜やかぼちゃの餡が入っていて驚いたことがある。皮もふっかりと厚みがあり、おやつというより食事という感じ。
これはおやきじゃない、と人知れずショックを受けた。
おやきなるものは全国にあって、土地によりさまざまだと後に知った。私の知るおやきは、米粉を使った薄い皮。餡は小豆の粒あんで、形は平たくのしてあり、両面が淡く焼かれている。
小さい頃、おばあさんが火鉢のような台で焼いているお店があって、私は通りがかると必ずせがんだ。自分が甘いもの好きの母は、3回に2回くらいは買ってくれたと思う。
経木で包まれたおやきを受け取ると、ほわっとした温かさが伝わる。一刻も早く食べたいから駆け足で家に帰り、玄関で包みを開いてまず一回、叱られる。
焦って手を洗い、かぶりついた時、まだ温かければ最高だ。皮のねっちりした食感と旨味、焼いた香ばしさ、小豆の優しい甘さが温度で伝わる。あくまでも穏やかで、繊細。それが私の中のおやきというものだった。
「ちまき(笹巻き)」は、桜が散ったあたりで現れる。笹に巻かれた三角錐のお餅は、お店で買う時、なぜいくつもつながってるのかな、と不思議だった。
ともかくそれらを一緒に茹で、結わえてあるいぐさを菜箸で引っかけ、引き上げる。冴え冴えとした笹の緑は、春が終わって初夏に向かっていく宣言だ。
笹の葉を開くと、黄みがかったお餅である。これを、きなこに砂糖、塩を気持ち混ぜたものにつけていただく。粒粒の残るむっちりしたごはんは、夏の草むらのような青い香りがした。
家で作るおやつもある。
「白玉」は全国区だが、東京で食べるどれもが、家のそれとは違っていた。作りたてじゃないからか、それとも秋田の白玉粉が何か違うのだろうか?
白玉粉を水で溶き、こねて、一口ずつ丸めて真ん中を凹ませる。子どもの私はこの作業を買って出て、儚いほどのやわらかさを小さな手のひらで感じた。茹でて浮き上がったら「もういいよ」の合図。網ですくい、冷水へぽとぽと落としていく。
冬は小豆、夏は冷たい蜜と食べ、白玉は口の中をちゅるんっと滑る。そう、秋田の白玉はみずみずしいのである。
「バッタラ焼き」はご存知だろうか? 母は秋田の家庭では一般的なおやつだと言っていたが、私の同級生は知らなかった。
小麦粉(または米粉も混ぜて)と牛乳と卵、砂糖、ほんの少しの塩を混ぜ、バターで焼く。パンケーキになりたいけどなりきれない、といった風体が可愛いおやつ。調べたら、ひっくり返す時の「バタッ」という音が、バッタラ焼きの由来だそうだ。
流行りの〝ご当地××〟とも呼びたくないほど素朴で、ささやかなおやつ。そういう味が、一緒に作ったり食べたりした家族の記憶や秋田の風土と重なって、大人になった今も鮮やかに蘇る。ちょっと切ないくらいに。
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