この世へ、たった一つの使命を持って生まれたものに愛を感じる。単機能といわれる道具だ。
それも「栓を抜くための栓抜き」といった正統派より、「なぜこんなことのために!」と、ほんのり呆れてしまうくらいの用途であるほどくすぐられる。
それを自覚したのは、友人が「有名デザイナーのだから」の前置きとともにくれた、北欧みやげのフォイルカッターだった。ワインのコルク栓をカバーしているキャップシールを「切る」ためだけの道具である。
そんなものがなくたって、文房具のカッターでも果物ナイフでも切れる、と言われたらおしまいの薄い存在意義。そもそもうちにはソムリエナイフがあるので、フォイルを切りコルクを抜く作業なら、一本でよほどスマートにできる。
なのにこの有名デザイナーなにがしは、なぜフォイルを「切る」一点にフォーカスしたのか。しかも必要以上にカッコいい。なんてブツブツ言いながら、ステンレス製のそれをボトルの口に当てて、くるりと回した。
なんと、滑るような触感! と驚いたらもう切れていた。病みつきになりそうな、この多幸感の正体は何なのだろう?
プロだからだ、と思った。一点集中で考えに考え抜いたプロ。たとえどうでもいい作業と言われようが、その一点においては最高を目指した道具だからだ。
先日、取材先のイタリア料理店で変わった道具を目にした。約5センチ四方の板の中央が丸く切り取られ、針金が升目にピンと張られている。
パスタを切る道具か何か? シェフに訊ねると「プンタレッラカッター」と返ってきた。
ローマ近郊でよく食べられる野菜の新芽で、チコリの仲間。茎の部分を細く割いてサラダなどにするのだが、この「割く」を担う道具だという。
手で割きゃいいのに、などと言ってはいけない。この道具があればレストランでも、大家族の家庭でも、大量のプンタレッラがじゃんじゃん割けるのだ。とはいえマシンでなく、茎をポンと押し込んで、反対側から引っ張るアナログな仕組み。素っ気ないほどシンプルなデザインだが、木と金属だけで成り立つこの道具は、楽器のように美しい。惚れ惚れしている私に、シェフが言った。
「ズッキーニカッターもあるんですよ。ほら」
見れば、形は同じでも針金の幅が微妙に、本当に微妙に広い。これなら兼用してもよさそうなものだが、ズッキーニはやや太めのほうが絶対おいしいから、味が違うから、というイタリア人の主張が聞こえるようだ。
大ざっぱなのか緻密なのかわからないが、これもまたやっぱりプロ。それぞれの野菜の、一番の味を追求したプロだ。
イタリア人ってまぁ……と言いかけて、そういえば日本人だって生姜とわさびではおろし板を換えるなぁ、と思い出した。
便利な兼用や多機能はいつの時代も人気者だけれど、「たったそれだけ」のために生まれた道具は、多くを持たない分、触り心地であれ味覚であれ人の本能に訴える凄みが違う。まったく不器用な、可愛いヤツだ。
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