数年前、雑誌のコーヒー特集でイタリア人を取材した時のこと。彼は熱く熱くこう語った。
「もしもイタリアからエスプレッソがなくなったら、きっと空港は閉鎖されるし、街じゅうで暴動が起きるよ」
当時はみんなでゲラゲラ笑っていたけれど、今、その言葉を思い出してゾッとしている。
もしも秋田じゅうの飲食店からお酒が消えたらどうなるか。岩牡蠣だってボタンエビだって日本酒なしには飲み込めないじゃないか! と、ちょっと暴れたくなるのは私だけだろうか。
東京では、そのお達しが本当に現実のものになった。
お店でお酒を提供してはいけない。世間では「禁酒法」とも呼ばれるが、今は1930年でなく2021年。まさか自分が生きている時代にこんな状況になろうとは。
というわけで、せっかくだから要請施行日の前夜に街を歩いてみた。
飲食店という飲食店が満席だった。いつも夜はガラガラのハンバーガーショップに行列ができていたし、とんかつ屋は家族連れで溢れ、子どもがごはんを頬張る隙間にお父さんとお母さんはビールで晩酌。イタリア料理店で笑い合う男女のテーブルには、ワインボトルが2本並んでいた。なかなか高級なワインだった。
どこかお祭り騒ぎのようでいて、でも、みんなそうして覚悟しているのだと感じた。
地震などで心細い時に肩を寄せ合う場所も、仕事帰りに「お疲れさま」と言ってくれるのも、東京では家族や親戚でなくお店だったりする。そこにはお酒がある。お店とお酒は気持ちを緩めるスイッチであり、元気になるための言い訳でもある。それがしばらくできなくなるのだ。
しかし、人々が禁酒法を苦渋のうちにも受け入れられたのは、「短期集中」だと思ったからだ。
4月25日〜5月11日までの17日間のはずだった。それが5月末までに延長され、さらに6月20日まで再延長。6月からは堰を切ったように、「お酒出します」と宣言するお店が増えた。
彼らを「身勝手」と非難する人もいれば、逆に、要請を守っているお店に「根性ないな」と吐き捨てる人もいる。
世の中に分断が起きている。でも私たちは、目の前の事実だけで善悪をジャッジできるほど、向こう側の事情を知らない。
要請を「守る」「守らない」「守れない」。
シェフや店主たちがその答えに至るまで、第一波からの1年をどう戦ってきたのか、ということも案外知られていないのだ。
誰もが違う事情を抱え、事情が違えば問題も違い、答えも違う。それを知ることで、少しでも分断が防げるのではないか。
そんな願いを込めて、5月に『シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録』(文藝春秋)を上梓した。昨春の第一波、最初の緊急事態宣言下で「何が正解なのかわからない」と苦悶し、自分の答えを探し求めた店主たちの記録である。
三十四人は、すべてが違う。
不思議なのは、その違いによって、いつの間にか書いている私自身が救われていたことだ。
世界中の人が、自分の仕事や存在について考えたこの1年。彼らの言葉は、どんな立場の人にも希望を見せてくれると思う。
(秋田魁新報「遠い風 近い風」2021.6.12)
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