生魚と町鮨 2019.1.5

 先日取材した江戸前鮨の三代目が、突然「19歳まで生魚を食べられなかった」と告白した。誰かが握ったお鮨は信用できない。でも今は大好物。なぜなら自分が握っているから、という冗談のような実話である。


 信用できない。つまり加熱していない魚が、自分の身体に何か嫌なことを起こしそうだ、と察知できたのだ。

 そんな風に子どもは本能に素直で、だからこそ疑い深く、根拠が無くても的を射られるアンテナを持つ。


 じつは私もまた、生魚が苦手な子どもだった。せっかく秋田の地元のお鮨屋に行っても、何でも好きなものを頼んでよしと言われても、「梅しそ巻き、納豆巻き、筋子巻き」の巻き物無限ループ。


 生魚嫌いに加えて、海苔好きだったせいもある。

 母のいない間に家じゅうの海苔を食べ尽くしてしまう常習犯は、しまいに、海苔の在処を隠される刑を食らった。お鮨屋といえば海苔だ。なるべく広い面積の海苔を食べたい者にとって、巻き物は願ったりだった。


 話を生の魚や貝に戻すと、食べればなんとなく、身体が変になると感じていたのだ。子ども時代はアトピー体質で、トマトを食べれば口の周りが赤く腫れ、牛乳を飲めば気持ちが悪くなり、次第に未知の食べものでも、口をつければ「あ、来るかも」とわかるようになっていた。

 野生動物が危険なものを自ずと口にしないような、鋭敏な本能を褒めて欲しいところだが、昭和50年代、不本意ながらそれは「わがまま」と呼ばれた。

 私の場合、発作を起こすなど重篤な反応でなく、かゆいとか、何となく変だなぁという意識未満のぼんやりした感覚だから伝えづらく、わかりづらい。


 恨み節を言いたいのでなく、そういう時代だった。

 その代わり、給食を食べきれず、いつも昼休みに突入する子どもの発想は「なんで食べなきゃいけないの」より「どうしたら避けられるか」になる。前向きだ。

 牛乳は、吹き出す悪戯をしたいがために好んで飲んでくれる男子を見つけた。給食当番では嫌な献立を進んで担当し、小盛りにする技。鼻をつまめば案外多くの問題が解決して、匂いがいかに重要であるかも学んだ。


 大人になってアトピーが改善されると、食べられるものは自然に増えた。それどころか今、嫌いな食材は全くと言っていいほど無い。ありがたい。ひとえに親のおかげと言いたいところだが、最も恩恵を感じるのは、申し訳ないがお酒である。

 お酒の味を知って、合わせる食べものがグンと広がった。お酒ってすごい。もはや大好物は貝類とまで言い切り、お鮨屋に行けばつまみを延長してしまうのだから逆転大ホームランだ。


 ところで、生魚が苦手な子どもの頃でも、お鮨屋は大好きだった。家では食事中禁止のテレビが観られて、欽ちゃんの番組にゲラゲラ笑いながら巻き物を頬張る特別感。甘くて酸っぱい酢飯と、香ばしい焼き海苔の香りに包まれる近所の天国。

 という思い出を胸に、新連載「みんなの町鮨(まちずし)」が、雑誌『dancyu(ダンチュウ)』のウェブサイト(dancyu.jp)で始まりましたよ、というオチでした。