もう間もなく、9月25日に新刊が発売される。春からずっとかかりきりだったので、恐縮しつつもちょっと語らせてもらおうと思う。

 タイトルは「変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編」(河出書房新社)。月刊誌の連載をまとめたものだが、そもそもこの連載は、昨年上梓した『昭和の店に惹かれる理由』(ミシマ社)のスピンオフ企画として始まった。『昭和の店に…』が私の目線で描いているのに対して、連載では現場のシェフやソムリエ、酒場店主、コーヒー店主たちの尊敬する昭和の店を、当事者の視点で語ってみようという趣向。登場してくれた「僕ら」は1970年以降生まれ、今まさに旬の、東京を面白くしている人たちだ。

 スクラップ・アンド・ビルドの街、東京で居場所を確立しようと思う者の目ざすところは、案外、流行には無い。本質を持っていなければすぐに見破られ、人は容赦なく、次の新しい店へと移ってしまうからである。

 目に見えている花より、土の中にしっかり張れる根っこが欲しい。そう考える「僕ら」が憧れるのは、昭和から続く「変わらない」店だった。

 ちなみに「変わらない」とは飲食店にとって、水面下で努力を続け、静かに変わり続けてやっと与えられる称号。その敬意も含めてのタイトルである。

 それにしてもプロというたちはそんなところを見ているのか、と何度も唸ってしまった。

 料理人は、スープを一口飲めば、それがどんな手間をかけているものかがわかる。焼き菓子から、職人の生き方が見える。サービスし過ぎない引き算の接客が居心地を作る、と若いソムリエは目から鱗(うろこ)を落とす。「お味噌汁をお代わりしたら、2杯目は具が変わっていた」というささやかな喜びがどんなにすごいことか、ホスピタリティのプロのアンテナには引っ掛かる。

 そういう一つ一つに心を揺さぶられたりガツンとやられたりしながら、「僕ら」は自分自身に「お前はどうだ?」 と問いかけるのである。

 私は普段から飲食に関わる人を多く取材しているが、すでに一角の評価を与えられたシェフやソムリエが、本当なら隠しておきたい、心の奥にしまってあるものをこんなにもさらけ出してくれた取材はほかにない。

 ほかにないと言えば、連載書籍化にあたって本書では、「僕ら」と「昭和」の店のプロフィルを新たに書き下ろしているのだが、これが長い(笑)。

 雑誌のプロフィールは大抵文字数が少なく、「三つ星の〇〇で三年修業」など簡単に書かれることが多い。だが常々、大事なのはその行間だと思っていた。

 例えば、三つ星で修業したと言っても野菜の皮むきばかりで料理をしなかった人もいる。ただ、その悔しい経験があったから次には小さな店を探し、すべての仕事を学んだという話ならそう書いたほうがいい。

 行間とは、なぜその店を選び、どんな仕事をして、何を得たり失ったりして、次にどうしたか。プロフィルが見所というものおかしいけれど、今回は存分に書くことができたので、ぜひ。