2019.03.22 06:52「茶禅華×四川飯店」メトロミニッツ 2019.3.20幼稚園児のときに「中国料理人になる」と決めた川田智也シェフ。故郷の栃木県は、日本最古の学校「足利学校」があり、儒学を学んでいたことから中国との縁が深い土地。シェフもまた英語より漢字の好きな少年でした。高校生になると、料理人は体力が要るからと運動部で身体を鍛え、食べ歩きのために東京通い。彼がシェフを務める「茶禅華」の大活躍は、なるべくしてなったものです。その川田さんが料理人になるきっかけとなった汁あり担々麺を考案し、「料理の鉄人」でわくわくさせられたのが「四川飯店」。前者は初代、後者は二代目、そして今は三代目の時代になっています。川田さんが尊敬する「四川飯店」、彼の視点で見ると、華やかさとはまた違う側面が浮かび上がってきました。余談ですが取材中、川田シェ...
2019.03.22 05:38成増の町鮨「寿し勝」dancyu web子どもの頃、家族と行った町鮨に限りなく近いお店でした。友人一家4人と行った町鮨は、2歳と4歳の子どもたちが親戚の家に来たかのようにのびのびとしていて、お父さんお母さんもゆっくり、のびのび。小上がりっていう機能はみんなをハッピーにするようにできていたんですね。カウンターで食べるお鮨と、小上がりのお鮨とでは、楽しみが違います。なんでこんなに楽しいんだろう?って、なおちゃんは、ひとりの帰り道で考えてしまいましたよ。
2019.03.09 04:04選べるしあわせ 2019.3.2 取材させてもらう予定のフランス料理店へ、下見に行った。 お昼でも単品ではなくコースのみだが、前菜とメインはそれぞれ2種類から選べるシステム。前菜は豚のパテ・ド・カンパーニュか、サーモンのマリネか。メインは豚の煮込みか、ローストした金目鯛のサラダ仕立てか。 同行した女性編集者は、まるで剣道の立ち合いみたいな凄みを持った表情で、メニューと立ち合っている。で、顔を上げるとおもむろに勝利宣言をした。「私は、最初から決まってた」 え、今まで悩んでいた時間は何だったの? と突っ込みそうになったが、それは彼女にとって「食べたい」という直感を確信に変える道程だったらしい。 マリネしてねっとりとした食感になっているであろうサーモンも捨てがたいが...
2019.03.07 02:53インディーズ出版『不肖の娘でも』予約はじめました母の話を書きました。秋田で暮らす母は、九年前に認知症と診断されています。私は東京で自分の家族と仕事を持ち、介護はしておりません。母に対してうしろめたさのある、不肖の娘です。本書『不肖の娘でも』は、昨年二月の、母の誕生日に合わせて書いた文章です。病気になってからの母を辿るという作業は娘に、ひとりの女性の一生をくっきりと見せてくれました。また娘が、その女性にどう育ててもらったのかを知る道程でもありました。気がつけば、父母のために綴った言葉で、自分自身が救われていました。これは介護記ではありません。ただ、ただ書いてしまったもので、書き上がったこの文章が何なのか、自分でも未だにわかりません。ごく私的な文章を世に出すことにも迷いがありました。ですが、もしもこの小...
2019.03.06 03:00「ペレグリーノ」dancyu 2019.3.6イカワさん、何を書いてもらっても構いません。好きなように書いてください。「ペレグリーノ」高橋隼人シェフは、いつもそう言ってくれます。その度に、度量のある人だなぁと感心させられるし、信頼してもらえているのかな、と嬉しくもなります。でも何より、表現ということ自体に敬意を持っていらっしゃるのだろうなと思うのです。たぶんご本人が、表現に制約を認めない人なのでしょう。取材対象者と書き手は、お互いに距離を保ったところで、相手をじっと見つめ合う関係だと私は思っています。なので、この10年見つめてきたことを、強いところも弱いところもひっくるめて書きました。dancyu連載「東京で十年。」でした。
2019.03.01 02:33BRUTUS 対談 いま、失われゆく昭和の店に、惹かれるのはなぜだろう。そんなテーマで、『純喫茶の空間』(エクスナレッジ刊)の難波里奈さんと、『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』(河出書房新社刊)の私とで対談しています。場所は、3月で閉店される洋菓子店、アルプス駒込本店。浅草のアンヂェラスもそうですが、昭和の店は一つ、またひとつと失われていきます。それは仕方のないこと。私たちにできるのは、「いいことなら学びましょうよ」©尾張家の女将さん『昭和の店に惹かれる理由』の精神で、今のうちに行って、感じて、覚えておくこと。追記:記事をお読みいただけるようになりました。こちらからどうぞ→BRUTUS WEB